大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和44年(あ)500号 判決

主文

原判決および第一審判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人辻巻真の上告趣意は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

弁護人小野田六二、同木内俊夫の上告趣意は、判例違反を主張するが、引用の各判例は、いずれも事案を異にして本件に適切でないから、所論はその前提を欠き、その余の論旨は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかし、所論にかんがみ職権によって調査すると、原判決および一審判決は、後記のように刑訴法四一一条一号により破棄を免れないものと認められる。

原判決が維持した第一審判決が確定した事実は、被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四二年九月二六日の薄暮時に、普通貨物自動車を運転して、時速約四五キロメートルで、名古屋市南区新郊通二丁目二五番地先道路を南進中、前方約五〇メートルの交差点の信号に気をとられ、進路前方の注視を欠いたまま右速度で進行したため、自車進路上を右から左へ自転車で横断しかけていた小川純二(当時六八才)が自車の右前方一五・七メートルに接近してはじめて気づき、急停車をしたが及ばず、自車前部を同人の自転車後部左側に衝突させて、転倒させ、よって同人を脳挫創により、収容された病院において死亡させたというのである。

そして、記録によれば、被告人の進行していた道路は、車道の幅員約二〇メートルの交通ひんぱんな市街地の道路であり、その中心部に市街電車の線路が敷設され、制限速度は時速五〇キロメートルと定められていたこと、被告人の運転する自動車の前方四、五〇メートルには先行車はなく、薄暮ではあったが、進路の見とおしは、八〇メートル先位まで良好であったこと、これに対し道路中心線の反対側では、対向車がかなり多く、その中には既に前照灯をつけている自動車も相当数あったこと、被害者は、無灯火の自転車に乗り、交差点から僅かしか離れていない地点で道路を横断しようとして、被告人の自動車の直前を横切ったことがうかがわれる。

ところで、被告人は、本件道路を、その制限速度内の時速約四五キロメートルで進行し、交差点の手前約五〇メートルの地点にさしかかっていたのであるから、自己の進入する交差点の信号を注視するのは自動車運転者として当然の行為であり、その信号が青であることを確認した後、右前方一五・七メートルの地点に目を移した時、被害者が進路前方を横切ろうとしているのを発見し、急制動の措置をとったが及ばなかったというのである。そうすると、被告人はわき見運転をしたり、空想にふけりながら運転していたというのではなく、むしろ自己の進路前方に相当注意しながら進行していたものというべきである。そして、本件では、被告人に発見される以前の被害者の状態が全く明らかにされていないのであるが、もし、被害者が、被告人の進路と反対側の車道を横切って、そのまま被告人の進路に進入して来たものとすれば、薄暮時でもあり、前照灯もつけて走行している多数の対向車の間に、無灯火の被害者の自転車をあらかじめ発見すべきことを被告人に要求するのは、難きを強いるものというべきである。これに対し、被害者が、道路中央の電車の軌道上の被告人に発見された地点で、横断の機会を待ちながら停止していたとすれば、被告人がこれを発見する可能性がなかったわけでもないが、本件では、被害者の状況が右のようなものであったと認定するに足りる証拠は全く存しない。そうすると、被告人は、前方注視義務に違反したということはできず、また徐行義務に違反したという点も認められない。

しかるに、一審判決は、被告人に前方注視義務に違反した過失ありとし、また原判決は「時速約四五キロメートルの高速度で進行を継続し」た過失もあるとして、一審判決を維持しているのであって、これは法令の解釈をあやまり、被告事件が罪とならないのに、これを有罪としたものというべく、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑訴法四一一条一号により、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

よって、同法四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 関根小郷 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例